麻生さんの子供のころから現在までのご経歴を教えてください。

生まれたときは 4000gを超える大きな赤ちゃんだったそうです。 小学校の時は、走るのが結構早くてリレーの選手として出場していました。習い事として唯一やったのは、書道だったのですが、時間をかけて書く事が出来ず、あっという間に書き上げて、友達とスポーツをしていました。

中学ではバレー部に入りました。今では身長が188 cmありますが、中学入学時はせいぜい150数cmぐらいでした。身長は高くはなかったのですが、ジャンプ力があったので、アタッカーとして1年生からレギュラーとして試合に出場しました。

高校時代もバレー部に入りました。しかし、入学した高校ではバレーの経験者が少なかったため、私を含む数少ない経験者が未経験者にバレーを一から教える事になりました。バレーの強豪校ではありませんでしたが、なんとか、県大会に出場するぐらいにはなりました。 この時の経験は、診療放射線技師として病院に就職してから、後輩の指導に、生きているかもしれません。

身長がぐっと伸びたのは高校1年生の時で15 cmぐらい伸びました。その後、大学になっても伸び続け、今の 188 cmになりました。

高校時代は物理より化学が好きで、成績も良かったので、大学は最初、薬学部に行こうと思ったのですが、調べてみたら、学費が 2000万程度することが分かりました。学費が高いのと、診療放射線技師に対しても興味を持っていたので、この道に進むこととしました。

大学に入ってからは、部活動はしなかったのですが、大学4年生の時、国家試験の勉強は「これまでの人生で一番」というぐらい勉強しました。コタツで勉強して、そのまま寝て、起きたら勉強という生活を2か月ぐらい続けた記憶があります。この時の勉強をもう一度、やろうと思っても2度とできないと思います。

その後、大学を卒業し、病院に就職したのですが、誘っていただける先輩がいた縁で、国立王子病院に就職しました。8年間勤務した後、国立東京災害医療センター(現在の国立病院機構災害医療センター)に異動しました。その後、平成10年から国立水戸病院(現在の水戸医療センター)で3年間勤務したのち、災害医療センターに戻りましたが、平成19年に国立がんセンター中央病院(現在の国立がん研究センター中央病院)に異動し、現在まで勤務しています。

 

国立がん研究センター中央病院 放射線技術部長 麻生智彦氏 ③へ