診療放射線技師になるんだなと実感したタイミングを教えてください。

学生時代は「放射線技師は自分には違うのではないか?」と思うことがありました。最初の2年くらいは自分が何を勉強しているかも理解していないくらいで、放射線技師になるのだということはわかっていたけど、放射線技師がどんな仕事するのかも分からず曖昧な感じでした。

3年生の時に、レストランでアルバイトをしていて、レストランの料理長に「放射線技師ってなんか違うような気がするんですよね。」と相談したことがありました。その時の料理長は自分の仕事に誇りを持っていて、「お客さんのため」に真剣に仕事をしている姿がかっこいいなと僕は憧れていたんですね。料理長のような料理人になりたいと思ったこともありました。

でも、料理長に言われたのは「大学は親にお金を払ってもらっているんだから卒業しないとだめだ。それに、一生懸命やったことで後悔することはあまりないよ。後悔するのは,一生懸命やらなかったこと。」と言われたことがきっかけで、放射線技師の勉強に前向きになれたことを覚えています。

 

技師になると実感してからは悩むことはありましたか?

学生時代は「放射線技師になりたい」というより、「みんなと一緒に卒業したい」という気持ちが「目標」として明確にあったので、あまり悩まなかったかもしれませんね。

悩むことは就職して1、2年目のころの方があったかもしれません。仕事を覚えることがすごく大変で、言われるがままにスイッチを押していて・・・。自分の仕事に責任が持てないまま、この放射線技師の仕事をやっている違和感がすごく不思議で、その時の方が悩んだかもしれませんね。

 

悩んだときは誰に相談していましたか

大学の同級生と遊ぶことが一番の気晴らしでした。「いま何(のモダリティ)やっての?」、「あの(一般)撮影やった?」とか,仕事の話を共有できるのはやはり大学の同級生でしたね。あとは,西尾先生(駒澤大学研究室の指導教員)に相談したこともありましたね。その時に大学院を進められて進学を考えるようになったのかもしれません。「自分の仕事に責任を持ちたい」というか、「仕事に誇りを持ちたい」じゃないけど、「(さっき話した)料理長みたいになりたいなぁ」って、そんな思いだったのかもしれませんね。

 

大学院を選んだ理由を教えてください。

その時なんとなく興味があったMRIの研究ができるところを探して、かつ自分の懐の事情の学費とかを考えた結果、首都大学東京の妹尾先生の研究室の扉を叩くことになりました。

 

なぜ研究をしたいと思ったのですか?

当時職場の先生(医師)が写真を撮った俺をわざわざ訪ねてきて、「この写真のこれ(所見)何だと思う?」って聞かれて何も答えられなかったことがあったんです。まだ就職1年目とか2年目なのに「わかるわけねーじゃん」って心のなかでその先生にツッコんでました(笑)。あとは、「今度こういう患者いるんだけど、こういうの(撮影)できる?」、「今度、こんなのやりたいんだけど」って聞かれて、「うーんどうでしょう...」とか,ほとんど答えられなかったんですね。その時,自分が仕事をしているのに何も知らないことを思い知ったんです。

少し話が戻りますけど、「僕がどうして仕事に責任を持ちたかったか」っていうと、自分のやっていることが分からなかったからだと思うんです。僕は画像情報、医療情報という商品を生産して提供しているにもかかわらず、その商品の生産方法,商品知識について何も分らない。例えばTOYOTAがプリウスを売るっていうのに、プリウスの売りが低燃費だとか、リッター何キロ走るとか、そういうのが何にも分らない、ましてや、運転の仕方すら分らない。そういうことが分かんなくて、「だめだ、勉強しなきゃいけない」って思って。僕にとって「仕事に責任を持つこと」,その一つの方法が「研究」を通して勉強することだったのかもしれません。

 

 

 

千葉県こども病院 診療放射線技師 小野浩二郎氏 ⑤へ