先生のこれまでのご経歴を教えてください。

 いろいろあるんですよ(笑)

私、経歴としてはちょっと遠回りをしているんです。大学を卒業した後にそのまま駒澤の大学院に進学したんですけど、大学院の授業は大体6限からになるので、日中は診療放射線技師として東京女子医大病院で非常勤で働いていたんですね。9時から17時まで働いて、そのまま大学院の授業を6限、7限と受ける、と終わるのは大体21時くらいで、家に帰って23時、次の日も朝5時に起きて、っていう生活を2年間していたんですけれども…。

私、大学生のころから趣味でバンド活動をしていて、ヴォーカルとギターをやっていたんですね。結構本気でやっていたので、趣味の領域をやや超えているというか…自分たちで曲を作ったり、CDも作ったりとか、オーディションに応募してみたりとかそういうこともしていました。

それで、大学院の修士1年の時に、わたしの友達が所属していた事務所からスカウトを受けましてインディーズデビューしたんです。どのくらい自分のバンドが世の中に通用するか試してみたいと思っていたので。反響はそんなに多くはなかったんですけど、新宿や渋谷のタワーレコードとかでも展開してもらって、そういうときって挨拶回りに行くんですけど、店員さんが気を利かせて店内BGMで流してくれるんです。あのときは本当に感動しましたね。

この道でプロとしてやっていくのもいいなとは思っていたんですけれど、ほかのメンバーはそう思っていない子もいまして、ほかの子たちは就職活動の最中で、内定も出ていたんですね。この先どうするのか決断を迫られたときに、やっぱり音楽はお金を稼ぐものではなくて趣味の範囲にとどめたいっていう子が出ました。その子たちが辞めてからしばらくはサポートメンバーを入れてやってはいたんだけど、リーダーとしての舵取りが難しくなってきちゃって…。で、契約が切れかかっていた時期にマネージャーさんに相談してバンドを解散して、インディーズ時代はそこで終わりました。

それが修士の2年のときで、普通に就職しようかなと思ってもいたんですが、わたしの中ではもうちょっとやれるんじゃないかっていう欲が出てきてですね、友達の友達と新しいバンドを始めたんです。それで大学院は2年間で卒業したんですが、病院の方にお願いをして、しばらく非常勤のままで置いてもらうことにしたんです。

でも、その後がまあー、厳しくて。大学院生時代は自分がまだ学生だから、というカードを持っていたんですが、それがなくなったことによって精神的に追い込まれちゃったんですよね。自分を追い込んだ方ができるかなとも思ったんですが、逆にプレッシャーに負けてしまって…。いい曲が何なのかわかんなくなっちゃうんですよ。そのあとも1年半くらい続けるんですが、答えを見失い始めてから伸び悩んじゃって。年齢も年齢だったので、音楽は自分の趣味の範囲でいいのでは?と思うようになって。メンバーとも相談をしてバンドを職業としてやっていくのは厳しいかなと話しました。

 

 

 

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