臨床に心残りはありませんか?まだ先生の同期の方などは病院で働いている人が多いと思うので、同窓会などでも病院の話をすることが多いと思います。そこで、仮に、東京女子医科病院(以下、女子医大)に就職するかで迷っていた時に、「先生にならないか」というお話が同時にきていたらどうしていたと思いますか?

「心残りがあるかどうか」と言われたら、とってもあります。そもそも、あの時私がバンドをやめて就職の道を選んだのは、もっと他のモダリティを勉強したいから、もっと技師としての経験を積みたいからということが目的だったので。

教員の道に入ってしまったら、なかなか臨床の現場に出られなくなってしまうということは重々承知でした。だから、正直すごく心残りがありました。

大学院の時に先生と「将来、教員として駒澤に戻ってきませんか」みたいな話を何となくしていた時も、イメージとしては、やはり若いうちにすぐ教員になるのではなくて、「何年か臨床経験を積んで、30か40歳くらいになったところで、臨床の経験を生かして教員になれたら丁度いいんじゃないか」というお話でした。

私もそういうイメージで考えていたんです。やはり10年とか20年とか、ある程度技師として現場での経験を沢山積んで、そういう見地からお話できた方が、臨床で働いていた人のリアルな話ができるから、学生にとってもその方がいいだろうと思っていました。

だから、まさかこんなに早くに教員になれるなんて本当に思っていなかったんです。(笑) だから、心残りは相当あります。

しかし大学教員のお話ってなかなか無いので、もし今断ってしまったら、もう一生こんなお話は来ないかもしれないということも思いましたね。あとは、学校に見学に行った時、ここの学生さん達の雰囲気の良さとか、教員の方々の教育に対する熱心さをすごく感じて、「この学校で一緒に働きたいな」と素直に思いました。だから、決断する時はほとんど迷わなかったですね。割とスッと決められました。

でも、もし女子医大に正職員として就職していたら、もし教員の話がきても、「もう少し女子医大で働きたいので」といってお断りしていたかもしれません。

もし「女子医大にも入れますよ」というお話が“同時に”来ていたら、どうかなぁ…。でも、多分教員の方を選んでいたんじゃないかと思います。この仕事は自分がすごく憧れていた教育の分野と、すごく大好きな医療の分野との両方が実現できるんです!医療の勉強も引き続き出来ますし、今後も超音波の研修の為に週に1回程度病院へ行かせていただくお話もあって、完全に臨床の現場に出られないわけでもない。自分が大好きな勉強や研究も沢山できて、もう1つ自分が憧れていた教育という分野も、両方同時に携わることができて、本当に今、自分が憧れていた最高のところにいると思います。(笑) そして、本当にこの仕事が良い仕事だと思っています。

 

 

 

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