本日はお忙しいところありがとうございます。

まず、最初に、昭和大学病院と佐藤技師長について教えてください

「昭和大学病院は、29の診療科で815床があります。昭和大学病院の診療放射線技師は私を含め59名の人員です。

私の年齢は50歳です。私は、夜間の4年制である城西放射線技師専門学校を26歳で卒業して、卒業と同時に昭和大学病院にお世話になり、現在、約25年目です。

昭和大学病院に入ってから、学位を取りたいという気持ちから、放送大学に入りました。放送大学で32単位取得して学位授与機構の試験を受け学位をもらいました。その後、皆さんと同じ駒澤大学の近藤ゼミの近藤先生にお世話になって、修士・博士をとらせていただいたという経緯です。

放送大学は学位を取るだけではなくて、どうせなら卒業しようと思いまして、最終的に放送大学も卒業しました。教養学部の生活福祉専攻です。

遠回りをしまして、高校を卒業した後すぐに、東京電子専門学校に入り医用電子工学科という、今の臨床工学技士さんになる前の職種のための学科にかよっていました。

東京電子専門学校を2年間で卒業して、夜間の学校に行かせてくれる病院はないのかと、個人病院をみつけて、入ったということです。21歳の時に個人病院に入って、約5年間そこで働いて城西放射線技師専門学校を卒業しました。」

 

昭和大学病院で働こうと思った理由を教えてください。

「ここに来ようと思ったきっかけは、すごく単純なんです。実は前の病院の技師長さんが昭和大学病院のOBだったんです。

技師長さんには私は随分かわいがって頂いて、専門学校を卒業するときに、『大学病院に行って勉強してきなさい。』と言ってもらったんです。

当時、昭和大学病院では、5年でワンクールというのが暗黙の了解の様なもので、5年で勉強してまた戻ってくればいいと言ってもらっていたんですよ。そういう覚えがあります。それで、昭和大学病院のほうにお世話になったんです。

なぜ、5年で帰らなかったのかというと、5年たったときに血管撮影が好きで、すごく興味がわいて、ずっと血管撮影室に入り浸っていたという状態でした。それで、17,8年ずっと血管撮影を担当させてもらっていて、『大学には何かあるんじゃないか、血管撮影には何かあるんじゃないか』ずっとそれを追いかけていたら、辞めなかったですね。」

 

昭和大学病院 技師長 佐藤久弥氏 前編②へ