将来技師の役割はどうなっていくと感じていますか。

「これは自分の希望論になっちゃいますね。もしかしたらだけども、『まあいいや、まあいいや』ってやっている診療放射線技師が多ければこの職種は無くなるでしょうね。やっぱ本物を掴んでいこうっていう診療放射線技師がいなければ、そういう診療放射線技師が多くなければ、淘汰されていっちゃうんじゃないかなって思います。なぜならば、ある程度のことが自動でできるようになってきているからですね。」

 

診療放射線技師を目指したきっかけを教えてください。

「私は、父親が福祉学校に勤めていました。口がきけなかったり、少し発達障害のある子たちの幼稚園といったところです。母親が看護師、姉も看護師で医療系の一家に生まれたということもあるんですけど。

あと、私は…皆さんよくこういったお話があるんですけど、小さいときに腰を痛めまして、その時に撮影してもらった診療放射線技師さんが非常に優しい人でして、こういう職業に就きたいなって思ったのがきっかけです。」

 

診療放射線技師になって初めて知ったこと、嬉しかったことなどはありますか。

「まずは、放射線技師になって良かった事っていうのは、直接患者さんからね…まぁこれも皆さんよく診療放射線技師さんだったら言われることかもしれませんけど、『ありがとう』とか、『あなたがいてよかったわ』とか言っていただけるときが一番幸せですかね。

であと、私は特徴的に血管撮影というモダリティーに長くいるっていう話はしましたけど、血管撮影って、医療全部そうなんですけど、失敗ってないですよね。失敗したらいけないじゃないですか。医療って失敗って基本的には許される行為ではないと思うんです、僕はね。僕はないと思うんです。

その中で、そういう状況なんですけども、どうしても患者さんが歩いて検査室に入ってきて、出るときにストレッチャーに乗って出て行ってしまう、っていうパターンもあるんですよ。それは、僕たちは精一杯努力して対応しているんですけども、どうしても十分な治療が出来なかったりして、ある一時出ていくときだけ患者さんからとったらマイナスな状態で出て行ってしまうというパターンもあるんですね。

あとは、ある一定の時期、病院にいて復活して良くなって帰るっていうパターンがあるんですけど、そうじゃなくて、僕たちはすべて、歩いてきた患者さんがさらにプラスして笑顔で帰るっていうのが私たちのモットーなんですよ。だから、私が心から思う、『血管撮影の最終的なエンドポイント』なんですよ。でそれをたくさん見ることができたっていうのは私にとっては幸せです。

ただ、その中には今も言ったように、そうじゃないパターンも中にはあるので、それは苦しいところです。だから、苦しさと嬉しさを両方、背中合わせに知りましたし、患者さんから優しい言葉を頂いたときによかったな、と思います。」

 

働いているときのやりがいもそういったところで感じますか。

「診療放射線技師として現場で思いっきり働いていた時には、そういうのがやりがいでした。

今は管理者になってしまって、もう放射線、X線を出すことってほとんどないんですね。ここ3、4年はX線を一回も出したことはないです。なので、ただの人です。皆さんを羨ましく感じますし、あぁ私は大丈夫かなって自分でも思うくらいで、本当に悲しいです。

ただでも、今はスタッフが成長してくるのを見ると、非常に嬉しく思いますね。昨日できなかったことが今日できているっていうのを目の当たりにするんですよね。そうすると、『あぁよかった』と思ったりもしますし、『もっと頑張れよ』っていうね、『なにか辛いことはないのかな』とか思いながら見ていたりして…で、色んなこと、辛いことを乗り切ってきてくれると嬉しく思って。それが今一番のやりがいかもしれません。」

 

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