震災のボランティアっていうのは?

その時はもう短大に勤めていたんだけど、その短大にそう言った医療系の学生にボランティアいきませんかっていう連絡が来て、で教員と学生とで5グループくらい作って。

震災から1か月半位たったときかな、住宅を一軒一軒回ってその時の住民のニーズを聞いてその意見を集約して区役所とかに提出するとか。医療スタッフとして入るわけではないよ。

それを一週間交代でやった。行ったときはまだガスも水道も通ってないから水を使わないシャンプーとかを持っていって頭洗ったりした、風呂入れないから。児童館みたいなところで寝泊まりしていたね。教員が1名、学生が7,8名とかだったと思う。結構色んな地域から来るから、そういうボランティアの人たちとも仲良くなったね。

 

先生が教員になった理由と教員を目指す学生や技師さんに何かアドバイスなどがあるようなら教えてください。

教員になったのはたまたまですよね。自分の場合は、たまたま助手の青柳先生が退官されて、その時助手だった阿部先生が上に上がって、丁度助手のポストが空き、声をかけられたのがきっかけです。

声をかけられたのは、学校と同じ都立病院に勤めていたっていう事と、病院に勤めてる時に、わからないことがあると、すぐに学校に聞きに行ったり、撮影でうまく撮れないと、学校でファントムとX線装置を貸してもらって撮影とかしていた事がきっかけと思います。

その時、「もしやる気があるなら来ない?」って言われて、「行って後悔するのも行かないで後悔するのも同じ後悔だしなー。だったら行って後悔した方がいいかな」って思ったんだろうね。だからいまでもこう、物が増えちゃたりするんですけどね(笑)。

目標があれば必ずそれに突き進んでいけると思うんですよね。それをこう、あまり明確でない状況でやるのは良くないと思います。例えば、「目標」と「希望」という言葉があるんですけど自分あんまり「希望」って好きじゃないんですよね。「希望」は第3者の力が色んな所ではたらかないと叶わないとか、法律が変わんなきゃそれにならないっていうことになっちゃうから。でも「目標」を持つってことは自分で何かしなきゃいけないっていうことだから。自分で動かないことにはなにも始まらないんで、教員にしろ技師にしろやっぱり「目標」を持って続けていくことが大切かなと思います。そのためにもやるべきことはやらなきゃいけないとも思うし。

学生には、「給料の消費税くらい(8%)は自分の勉強のために使いなさい、お金もらっているのは、「患者さん」からなんだから、「患者さん」に還元できるように自分が勉強しなくちゃ意味がないんだからね」ってよく言うですけど。

正直、学校の教員になったときも「まあ教員ダメだったらまた病院戻ろう」くらいの感覚も正直ありました。でもやってくうちに色んなことが分かってきて、面白くなってきた。学生さんに教えるのもすごい充実感あるなと思いまして。それで今に至るっていう感じですかね。

 

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