本日は、実験の駒澤大学の授業「医用物理学実験」の後、お時間を頂戴し、ありがとうございます。

まず、根岸先生の幼少期から現在までの経歴を教えてください。

僕は横浜で生まれました。小学校、中学校、高校と横浜の学校に通いました。高校は清水ヶ丘高校という学校です。そこにドンドン商店街というのがあって、学部長の西尾先生が前に住んでいたんですよ。西尾先生は社会人で、僕は高校生だったので知り合いではなかったのですが、その後いろいろ話している中で、昔「横浜のここに住んでいたんですよ」とかいう流れで知ったんです。ケーキ屋さんの話とかしてね (笑)。

大学は、当時放射線の学校は短大しかなかったので、駒澤大学と都立大学、そして千葉大学の専門学校を受験しました。横浜からだと、駒澤は近いけどちょっと高い、千葉大はその当時授業料は年間1万8千円で安いけどちょっと遠い、そうすると程よいのが都立の短大だったのでそこに入りました。駒澤が70~80万円するのに対して、年間18万円とかでしたからね。

今、駒澤は授業料が年間170万円くらいするの?皆さんが親になって自分がそのお金を払うとなったら、大変なことだから。親に反抗なんかしている場合じゃないね(笑)。短期大学を卒業した後は、都立の墨東病院というところに勤めました。錦糸町から歩いて5分くらいのところにある3次救急をやっている病院で、ベッド数は当時600床くらいかな。

そのかわり、3次救急だから飛び降りとか、線路でひかれた人とか、手が外れたまま来てそのあとに手だけが来て一緒に撮ったり、包丁が刺さったままの人もいた。

包丁刺さってくる人とか、抜いちゃうと出血するから、位置を確認しないといけないし。鉄砲の弾が入ったままの人もきて、その時は手袋をはめて弾を確認しながら撮影したり。

昔は初療室でポータブル撮影を行うときは、インバータ装置じゃなくてコンデンサ装置だったから、その時も学校で勉強したようにこの装置は出力が低いから管電圧を上げないといけないなとか、コンデンサ装置は撮影時間伸ばしても線量が上がらないからね。

 

墨東病院には何年くらい勤務されていたんですか?

平成元年から平成5年の3月までいて、そのあとから短大の助手をしていました。なので、学校で教えているのはもう20何年になるかな。平成17年から群馬の学校にいって、そこでは主に機器工学を教えています。あとは電気電子工学とか撮影のお手伝いですね。

 

現在は首都大学東京で准教授をされていますが、そこでは何を教えているのですか?

そこでも機器工学を教えています。

 

他の大学と比べて駒大生はどのような印象ですか?

明るい子が多いですね。まだ、1年生としか接していませんが、3、4年生になると学会発表もしていてすごく勉強しているんだなと思いますね。まだ、1年目だからあまりわからないけど…(笑)

どこも1年生は一緒だけれど、勉強がすごくできる子とあまりできない子がいて、そのできない子たちがどれだけ上がってくるかだよね。どこに行っても頑張ればトップの成績がとれるし。自分は別に学校の成績トップではなかったし。

逆に実際に臨床の現場に出てからもっと勉強したいと思ったよ。学生時代は遊んでいたね(笑)。

 

首都大学東京 健康福祉学部准教授 根岸徹先生 ②へ